http://homepage2.nifty.com/mazzn/287.htmこちらのページの下のほうにあった小論文の問題文が非常に考えさせられます
要約すると
20世紀の歴史家の意見
・歴史とは歴史家によって造られる。
・捏造は許されない
・証拠(ソース)とは解釈の妥当性を問うものである。
現代のある歴史化の意見
・真実に近いと言う根拠を、客観的な「証拠(ソース)」という歴史的事実に求めることは間違いだ
・歴史を物語るときに必要なのは事実そのものでなく論理的プロット(筋書き)である
・そのため「歴史的事実は無で、解釈が一切」ということになる
・したがって極論では「無限の解釈」が許される。
ということですが、ちょっと模範解答が悪いです。
私もこの答えを書いてみようと思います。
歴史とは誰のためにあり何のためにあるのだろうか。
「ただそこにあり、それを勝手に使っているだけだ」と言う人もいる。
確かにそれはそうであろう、歴史とは万人に開かれた解釈一切だからだ。
しかし如何様にでも使っていいわけではない、影響を受けるのは我々なのだから、私は歴史を自分たちのために使うべきだと考える。
そしてそのためには真実と向き合い、接近する覚悟が必要になる。
なぜなら甘い印象操作や都合のいい捏造は耳障りがよく、まるで悪魔の誘惑のように、我々の精神をとろけさせてしまうからである。
一方で真実とは耳に痛く、聞くのにひどい苦痛を伴う場合もある。
しかしその言葉は経験に基づく実証であり、その教訓は我々を高めてくれるものだろう。
では我々はどうやれば真実に近づけるのだろう。
徹底的に議論するより他は無いだろう。
歴史は議論を重ねることで研鑽され、跡に輝く真実、教訓が見えてくるからだ。
そうした意味で我々は非常に幸せである、課題文のように終わらぬ議論が残された、
日本という国家の歴史の豊穣さは他に比類の無いものだと考えるからだ。
歴史を磨くことで、精神を高めること、これが私の考える歴史のあり方である。(492字)
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